日本語では不快感を表す舌打ちと同じ音がフランス語では談話構成や聞き手目当てな「働きかけの機能」を持つことを明らかにする。また日本人フランス語学習者とフランス語話者間でコミュニケーション上の誤解が生じる原因も検討する。
【「序」より】
Patterson & 大坊(2013)によると,それぞれの文化の中には,出来事や行動に関して共有されている暗黙の意味があり,それがスムーズなコミュニケーションの実現に役立っているという。しかし,文化に違いがある場合,共有される意味の少なさから,意思疎通がうまくいかず,誤解が生じることがあり,中でも,自動的になされる非言語コミュニケーションには,大きな認知努力が必要だと述べている。
近年,観光やビジネスでフランスを訪れる日本人旅行者および在フランス日本人数は増加傾向にある。同時に,日本を訪れるフランス人旅行者ならびに留学生数も増加しており,異なる母語,文化を持った者同士がコミュニケーションをする機会も以前より増えている。そのような中で,あまり知られてはいないが,フランス語母語話者の「舌打ち音」が誤解やトラブルの原因となっている。ここでいう舌打ち音とは,日本社会で「舌打ち」と言われ認識されている音のことであるが,一般的に日本人が持つ舌打ちのイメージは「いらだちなどのネガティブな感情を表出する悪癖」である。子どもの頃から舌打ちは「行儀が悪い」,「相手を嫌な気持ちにさせる」ものであると言われて育った日本人は少なくなかろう。
(中略)
しかしながら,フランス語母語話者が談話において発するこれらの舌打ち音は,日本社会で一般的にイメージされる相手に対するいらだちの感情の表出としての「舌打ち」ではなく,それとは異なった用法,機能があるというのが本研究における筆者の主張である。これまで単なる個人の悪癖や雑音としか捉えられてこなかったからか,ほとんど研究されていないが,フランス語の舌打ち音を言語学的観点から検証し,明確に記述することで,今後の日本人とフランス語母語話者間の良好な人間関係の構築に寄与できればと思っている。