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❑ プロフィール
❑「ちばてつや」ブランドは偉大!今もなお売れ続ける名作の数々
❑『ひねもすのたり日記』は、水木しげる先生のピンチヒッターだった
❑ 漫画家の世界に派閥は一切なし。全員が仲間で同志の関係
❑ 漫画はいつの時代も人々の生活に寄り添い、そして進化し続ける
プロフィール
ちばてつや
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『あしたのジョー』『のたり松太郎』などで知られる日本を代表する漫画家。人間味あふれる作風で、多くの読者に影響を与え続けている。2024年に文化勲章を受章。
八木泉
(やぎ いずみ)
丸善ジュンク堂書店コミックジャンルアドバイザーチーフ
1999年ジュンク堂書店入社。千日前(旧難波)店・梅田店・三宮店を経て現在ジュンク堂書店池袋本店コミックフロア長・全店のコミックジャンルの仕入・店舗指導を行う。
「ちばてつや」ブランドは偉大!今もなお売れ続ける名作の数々
まずは改めて文化勲章の受章おめでとうございます。漫画家の方で文化勲章を受章されたのは、ちば先生が初の快挙と伺いました。
ありがとうございます。17才で漫画家になって以来、途中体調を崩して筆を置いた期間もありますが、気づけば86才! 我ながらよくここまで走り続けて来ましたね。
私が丸善ジュンク堂書店に入社したのが1999年なのですが、この頃から現在まで、先生の作品は書棚に必ず在庫しているんですよ。

本当ですか? うれしい話です。最近ではあまり書店で見かけなくなっていたので、少し寂しい気持ちになっていたんです。
丸善ジュンク堂書店の顧客に40代以上の男性も多いことが影響しているかもしれません。私が店舗スタッフとして勤めていた時も、先生の本をたくさん売り続けてきました。『あしたのジョー』や『紫電改のタカ』はもちろんですし、『のたり松太郎』は、売場で切れたままだと、お客様からお問い合わせを多数いただくこともあり、何度も揃え直しました。
実は『のたり松太郎』は、あそこまで長く描き続けるつもりはなかったんですよ。当初は編集者とも短編で終わらせる約束だったんです。それが最終話のページに書いた「終」の文字が、発売されたコミックを見たら「続く」になっていたんですよね。
そうだったんですね! 今の時代でしたら訴えてもおかしくない事案です(笑)。
当時は契約書なんて存在しない時代でしたから。こういった話は他の作家さんでも経験されていたんじゃないかな。でも、あの作品を描くのは本当に楽しかった。

『のたり松太郎』が連載されていた頃は、ほかにも長編のスポーツ漫画を描かれていました。たとえば、『あした天気になあれ』などがありますね。
複数の出版社で同時連載していましたね。ですから、徹夜作業は日常茶飯事でした。自宅の作業場はアシスタントが常に寝泊まりしていて、夜中になっても煌々と電気がついているんです。目覚ましの為に音楽もジャンジャン鳴り響いていて、人も昼夜問わず出入りしている状態。まるで不夜城でした。
凄まじい現場ですね。そのような環境で長年仕事を続けてこられたのですね。
周囲からは「徹夜のてつや」なんて呼ばれていましたよ。ただ、そのような長い間の不規則な生活が影響したのでしょう。『少年よラケットを抱け』の連載中に体調を崩してしまい、入院を余儀なくされてしまいました。
入院中は奥様が先生の体調を案じて、内緒でアシスタントの方を全員解散させたとお聞きしました。
退院したら作業場にあったデスクが玄関に山積みになっていてね。「新しい作業机でも導入するのかな?」と思っていたら解散という形になっていたんです。そこからは体を気遣うようになり、短編だけを描くようになりました。
『ひねもすのたり日記』は、水木しげる先生のピンチヒッターだった
現在、丸善ジュンク堂書店では再び先生の作品が注目を浴びています。「ビッグコミック」(小学館)で連載されている『ひねもすのたり日記』です。
実はこの作品、水木しげるさんの連載終了がきっかけとなっているんです。
『わたしの日々』という、水木しげる先生の日常風景を描いたエッセイコミックですね。当時の年齢で90歳を超えていて、大変話題になりました。

オールカラーで、それは美しいページでした。水木さんは当時ほかにも連載を抱えていたんですよ。年齢を感じさせないくらい精力的に活動をされていたのですが、体力的な負担もあって1年で連載に幕を閉じることになってしまったんです。
そして次の描き手として、先生に白羽の矢が立ったのですね。
そうです。ただ、引き受けた当初はかなり後ろ向きの姿勢でしたね。というのも、連載は実に18年ぶりで、しかも4ページ完結の自分語りです。これまで数十ページ単位で物語を描いてきたので、とにかく勝手が分からない。それに連載はもう生涯描くことはないと思っていましたから。
当初は手探りの状態で連載を続けていたのですね。
それこそ、最初は水木さんの連載を参考にしながら描いていました。そしたら案外これが面白くて。しかも4ページで月に2回の掲載ですからね。「これなら描き続けられる」と確信に変わりました。
自分の過去と現在を織り交ぜながら描くという読み応えのある手法で、4ページとは思えないほどの重厚感のある作品だと感じています。
今と過去を行ったり来たりする展開は、最初から考えていた構想ですね。ただし、肩の力を抜いて描くようにしています。タイトルの通り「ひねもす、のたり」ですから。
漫画家の世界に派閥は一切なし。全員が仲間で同志の関係
『ひねもすのたり日記』の中には手塚治虫先生や石ノ森章太郎先生など、多くの漫画家が住んでいたトキワ荘の話や、松本零士先生との出会い、他にも多くの漫画家が登場されていますね。
トキワ荘には私と同期の仲間がたくさんいましたし、トラブルが生じた際にはお互い助け合って苦難を乗り越えることはよくありました。私が大怪我をして、描けない時期に石ノ森章太郎さんや赤塚不二夫さんらトキワ荘の漫画家さんたちが私の代筆をしてくれたこともありましたよ。

作中にもさまざまなエピソードが描かれていて、漫画家同士の絆の深さを改めて実感させられました。
作風こそ違いますが、作品を生み出す苦労は漫画家の誰もが身に沁みて感じているので仲間意識が強いんですよね。だから、漫画家には派閥というものが存在しない。
素敵な関係ですよね。ただ、漫画家さんで早くにお亡くなりになることもあり、わたしもそれが悲しいです。
皆さんよく食べて、よく飲んで、精力的に活動をしているけれど、体を動かすことが少ないからじゃないかな。手塚治虫先生が亡くなったのは胃ガンでしたが、60歳という若さでしたよね。先生の葬儀の時は漫画家同士の間で「もっと健康的な生活を心がけよう」という意識が芽生えたんです。ゴルフコンペを作ったり、運動会を主催したこともありましたよ。
運動会ですか? それは初耳です。
近くにあった豊島園の大きなグラウンドを借りて大々的に行ったんです。知っている漫画家や編集さんたちに声をかけて、それこそ家族総出で参加していましたよ。でも、普段から体を動かしていない連中ばかりだから怪我人が続出しちゃって、翌日には仕事ができなくなったりして大騒ぎ。だから残念だけど2回で終わってしまいました。
皆さん本気出してますね(笑)。面白そう、見たかったな。夢のような運動会ですね。そして先生は野球チームもお持ちになっていましたよね。

野球チームは漫画家の間でブームになっていて、一時期は16チームくらいあったと思います。その中で、今でも残っているのが永井豪先生。彼は今も現役でバリバリ作品を描いているから本当にすごい。
ちば先生は永井先生の描く作品のような、ちょっとお色気路線に憧れがあったとお聞きしたことがあります。
私は長いこと実家で作品を描いていたんですが、おふくろがクリスチャンだったので厳しかったんですよ。ちょっとでも性的な描写があれば母親に怒られてしまう。大きな声で叱られて、正座させられて。「これは大人の雑誌だから、これくらいは許容範囲だよ」と言っても聞き入れてもらえない。だから、いつしか描くことを諦めてしまいました。
その辺りのエピソードが『ひねもすのたり日記』に描かれていて面白かったです。
他にも、影響を受けた漫画家さんはたくさんいます。それこそ、当時の仲間はお互いの作品に影響を受け合って成長していたと思うんです。そうやって、切磋琢磨して腕を磨いていた。時に嫉妬することはあっても、尊敬しあえる関係だったから仲間意識が強くなったのかもしれませんね。
漫画はいつの時代も人々の生活に寄り添い、そして進化し続ける
先生は『ひねもすのたり日記』にいたる現在まで、紙とペンで原稿を描くアナログスタイルを続けていらっしゃいますよね。カラーページは手描きならではの温かみが感じられて、それも人気の秘訣と感じております。
自分はどうも小回りがきかないタイプで、新しいものに飛びつくのが苦手だから。私より少し若い世代はほとんどデジタルに移行しているんじゃないかな。
ちなみに最近の漫画家さんの作風について、先生はどのように感じられていますか?

みんな本当に絵が上手い。そして本当に器用。それは日本人の持って生まれたDNAが関係しているんだと思います。過去を遡れば、漫画の起源は「鳥獣人物戯画(鳥獣戯画)」。そこから現在に至るまで、多くの作家が漫画を描き続けてきたんです。漫画は常に日本人の私たちの生活に寄り添い、そして進化し続けているんですよね。
我々書店も、紙の本から電子化が進みつつあり、本そのものの在り方に変化が求められていることを日々痛感しております。
確かに本そのものの在り方は変わるかもしれませんね。ただ、その一方で、漫画に登場するキャラクターに対する情熱の注ぎ方は、いつの時代も変わらない。そして年々、その情熱の注ぎ方は加速しているような気がします。
現在ではキャラクターを推す「推し活」も人気ですよね。
キャラクターが独り立ちして、さまざまなグッズになって販売されるケースも多くみられるようになりましたよね。他にもキャラクターの展示会など、単行本という枠から飛び出した新たな活動には、無限大の可能性が秘められていると思うんです。書店さんには私たちの作品を世に広めてもらうと同時に、新たな活動を視野に入れていただけたらうれしいですね。
STAFF
撮影 小川久志
構成・文 三輪順子
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