平安末期から鎌倉初期にかけての混迷する時代、「寒湿貧」の叡山で学問研鑽に努め、専修念仏を追究しますが、飽きたらず、さらに苦難な道を選びます。それは、戦乱に翻弄されて苦しむ人たちの中に入りこみ「癒しと救い」の光を老若男女・貴賤の別なく与える道でした。後世に名を残す弟子たちを育て、多くの人たちに愛されて亡くなるまでの、法然上人の一生を描いています。
【著者メッセージ】
宗教の本質というのは、学問的な研究書では、とうてい描き切れない。なぜなら歴史的文献に記されていないことを憶測してしまっては、科学的研究として成立しないからだ。
そもそも宗教とは、人間の想像力の所産に過ぎない。だから、その核心を掴みたければ、同じ生身をもつ人間として想像力を駆使していくよりほかない。となれば、フィクションこそが宗教の核心に迫るベストな表現手段ということになる。
今まで私は、十二世紀という乱世に生きた宗教家・法然の思想を客観分析し、それを思想史上に位置づけることに、比較宗教学者としての使命を感じてきた。しかしいつからか、法然という一人の男の中に飛び込んで、彼の眼から世界を見渡してみたいという衝動に駆られるようになった。そういう思いで書き下ろしたのが、小説『法然の涙』である。なぜ涙なのか。それは、過酷な人生が人間の眼から絞り出す血の涙と、その過酷さを生き抜いた先に見えてくる仏の光が人間の眼に溢れさせる歓喜の涙の双方を描きたかったからである。(町田宗鳳)